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空飛ぶ取材班 奮闘記
私は鉄道ジャーナル編集部の(亀)。
月に一二度は取材出張の命令が下る。「なんだ、もっと頻繁に出かけているのかと思った」などと言われることもあるが、月に2本も抱えると、もう頭が痛い。なにしろ、取材が終われば終了というわけではない。いや、その後に「書く」という本番が始まる。取材以外のページや、外部スタッフの原稿受取りもある。また、そうした人々の取材手配は双方の日程調整に、存外に時間を割かれることも多い。というわけで、机にしがみついている時間のほうが、うんと長いのだ。だから、出張ものんびりとはしていられない。
読者からジャーナル編集部あてに、「スタッフは取材以外の列車では、どうやって過ごしていますか」という質問をいただいた。期待しておられる答えは、楽しい道中の過ごし方なのだろうが、なんのことはない。車内改札が終わったら速攻で、寝る。途中で目覚めたら、取材資料を再確認する。座席から一歩も動かず、一般のビジネスマンと大差ない。ただ、位置確認で車窓に向ける視点は、「おっ、岳南江尾だ」とか、「近鉄米野検車区が見えた」だったりするけどね。
3月半ば、デスクから指令が発せられた。「7月号(5月発売)では、〔あさかぜ〕をやれ。」
ハ〜イと日取りを決めにかかっていると、「その次で新しい路面電車もやるから、鹿児島と松山と高知も一緒に」 さらに追い討ちをかけて「ゴールデンウイーク前の進行だから、原稿もニュースも、みんな10日早くアップだからね」と脅す。
口を開けたまま、しばし放心状態になるが、悠長なことは言っておられない。「あさかぜ」で下関に着くのは朝10時。その日のうちに鹿児島市交通局も訪ねて市電の取材を片づけてしまうには、「ソニック」だ「つばめ」だとも言っておられまい。すぐに国内航空路線のページをめくることにあいなったのである。
多忙・退屈交互の夜行取材
4月4日、18時、同行の(翠)カメラマンから、「行くよォ」と催促がくる。ギリギリでニュース記事のレイアウトを終えて、というか編集部(王)に後を押しつけて、東京駅に向かう。発車時刻に駆け込めばOKというものではない。なにしろ、きょう日の寝台特急は食料を持参しなければ、朝まで空腹を抱えることになる。東京駅で真っ先にめざしたのはデパチカ、大丸の食料品売り場であった。駅弁もよいのだが、深夜取材となれば、夜食も軽く仕入れておきたいのだ。それから、お酒もね。…いやいや、撮影の小道具としてですよ。(説得力ないか)
あふれる街の灯を眺めながら旅立つのは気持ちよいもので、しばらくの間だけ思いに浸る。でも、長くはじっとしていられない。お客さんや車掌さんの動きが止まる前に、車内の様子を撮影しなければならない。
やがて、おやすみの放送が入ったあとは、個室に籠もったけれど、それも撮影のため。お酒などを並べてイメージをねらうのである。狭い個室内で男2人、隣室に気遣いながら、ごそごそとやる。違法行為をするわけじゃないが、お客さんに見られると気恥ずかしく、まして不審を抱かせては申し訳ない。
浜松から次の名古屋までの2時間は逆に退屈。でも、この日最後の停車駅を見届けるまでは寝られない。うまく深まる夜を表現できるネタはないかしら…と、ひっそりと車窓に目を凝らしたりしているのである。
九州内航空路線で鹿児島直行
朝、車窓はまだ暗く、寝息も聞こえる中で、目覚ましよりも早く朦朧と起きあがるのが夜行取材の実態である。
下関到着9時55分。光の注ぐホームに降りると、目の奥が痛い。これで終われば取材も気が楽だが、そうは問屋が卸さない。陽春の関門海峡を船で渡るなどというのははかない夢で、すぐに宇佐ゆき普通に乗り換えて小倉に向かう。
小倉からは新幹線。JR九州のきれいな特急で博多へというのも許されない。なにせ在来線では約1時間のところ新幹線は20分。この40分の差がものをいう。そして、捻出した時間でJR九州本社を表敬訪問。人事異動で着任された広報課長にごあいさつ。「今後、よろしく」と。
次は地下鉄で福岡空港へ。そしてJAS 805便で鹿児島に飛ぶ。寝不足を補うために、自腹を切ってでも「つばめ」のグリーンで4時間を過ごしたかったのだが、無情にも飛行機は福岡を発つと水平飛行の時間もわずか。ほんの30分と少しでリクライニングを戻さなければならない。このときばかりは、ホント、速さがうらめしかった。
すぐにリムジンバスで、市内に直行し、14時、約束の鹿児島市交通局の担当者との面会時間にすべり込む。セーフ。
鹿児島市電は、この1月15日から超低床電車1000形を導入した。車庫で話を伺い、(翠)カメラマンは別動をとり、市内で走りを押さえる。だが、路面電車の撮影は意外とむずかしい。道路沿いで狙っていると、撮影者のことなどいっさい関知しないクルマにかぶられるのだ。加えて特定の超低床車だから、チャンスは少ない。きっと眠いどころではなく、神経をすり減らしていたことだろう。
夜の帳が降りて、ホテルに投宿。お互いに目の奥が痛い。しかし、たった一つ、元気を取り戻せる方法がある。つまり、チェックインももどかしく居酒屋に急行することなのであった。
鹿児島〜松山間は小型機で
翌日は、10時半には天文館からリムジンバスに乗る。鹿児島空港13時25分発松山ゆき日本エアコミューター863便は、初めて経験する小さな機体。タラップはきしみそうな細い梯子で機内は右に1列、左に2列という、まるで名鉄美濃町線電車のようなサイズに感動。
飛行高度もいままでになく低い。そりゃそうだ。高く上がったら松山を飛び越してしまう。15時には松山駅前に立つ。
松山に根を下ろす伊予鉄道も超低床電車2100形を2両導入した。ここはしばらく前に「坊ちゃん列車」で訪れ、大筋はわかっているから、観察できればよい。それに与えられた時間は19時までの4時間。おまけに天気も崩れて、雨の中でハードな撮影となった。
夜、高知ゆき高速バスの人となる。ダイナミックなJR四国振子特急は、残念だがあきらめ。 高知着は21時過ぎ。松山で夕食をとったので、ホテルでおとなしく就寝…、したのは(翠)のみで、(亀)は道すがらに発見した居酒屋がどうしても気になり、ラストオーダー直前に駆け込む。カウンター席まで畳敷きの店はマスターもママも愛想よく、大正解。気持ちよく酔う。
列車を満喫せずに空路東京へ
取材最終日、土佐電鉄超低床車は営業前の試運転中で、それに同乗させていただくことになっている。車内はまだ汚れ防止のための段ボール敷きで、撮影時には(翠)カメラマンとそれをはずして、終了後、また戻す。かずかずの新車撮影をこなすカメラマンによれば、いつもこうした下作業が必要とのこと。
昨日とは一転して汗ばむ青空の下で走りも撮って、今回の取材はすべてのスケジュールを終了する。17時過ぎのANA568便は高知空港から羽田に向かって飛び立った。今回は徹底的に列車に乗れない。まったく、やれやれと機中で眠りにつく。
後日、「あさかぜ」の原稿をアップしたら、すぐに万葉線の取材指令が下る。
「……」
−Jun 14, 2002− (鶴通孝)
○このコラムは、「旅と鉄道」夏の号にも掲載しています。
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