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「鉄道ジャーナル」の誌面は取材記事が多いことが特徴の一つだが、月刊誌の宿命として時間の制約が大きく、プランニングから取材手配、実行から原稿作成、事後処理まで、短期日にあわただしく行なっているのが実態だ。したがって、取材にまつわる悲喜こもごものエピソードがかず多い。取材・編集日記の一端をご紹介すると…。

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〔2000−2001年〕

 月刊誌の編集部の年末は、超がつくほど大変。通常なら、この時期に入稿から校正へと編集の主要な実務をこなす、12月29日から1月4日まで印刷所も休みに入るためで、12月は全体のスケジュールが10日ほども繰り上がる。実際には12月10日までは前の号の作業がびっしりと詰まっているのだが、その合間を縫って1月最初の号の準備に入らなくてはならない。加えて、年末が近づくと身辺もあわただしい。忘年会もあるし、あいさつ回りもひかえている。年賀状もある。毎年のことながら来年こそ少しは落ち着いて過ごしたい、とは思うのだけれど。(デスク)

 12月6〜8日の北海道取材は、締切り間ぎわの2月号と翌3月号の取材が重なった。「ササラ電車」の原稿を北見のホテルでまとめ、ファックスで送る手はずになっていたのに、ホテルのファックスが壊れていた。しかし、ふるさと銀河線の快速を逃すと、次の列車まで5時間もあいてしまう。頭のなかは善後策をこね回していたが、よい解決案が出てこないまま足寄までもっていき、コンビニに立ち寄った。が、今度はファックス自体がない。仕方なく役場で「ファックス使いたいんですがぁ」とお願いすると、「何枚くらいですか?」と快い返事。お言葉に甘えて送っていただいた。おかげで、2月号に穴を空けずにすみました。足寄町役場のみなさん、ありがと〜。(嶺)

 12月13日、貨物列車を牽引する新型機関車EH500の取材のために黒磯へ。朝が早いので、前夜に黒磯入りし、カメラマンとも合流。さて、明日の準備でもと思っていたところに、携帯電話で津軽海峡線不通の報。もしやの淡い期待もむなしく、翌朝、黒磯駅へ出かけてみれば、列車は北海道内で抑止のまま。取材は中止になってしまった。翌週に仕切り直し。とはいえ、残された時間は少ない。取材はともかく原稿を書く時間があるのかしらん。(亀)

 

 

 12月26日、大阪。桜島線に3月1日に開業するユニバーサルシティ駅の写真を撮りに行く。陽が短いうえに光線が弱い冬の撮影は、撮影可能時間帯が限られる。ところが、桜島線は日中1時間に2本しか電車が走らない。1本逃すと次は30分後。大阪駅環状線ホームの立ち食いショップで、かき揚げ丼と素うどんの「はらぺこセット」なるものを3分で食す。あ、電車がやってきた。急がねば… けれど、ユニバーサルシティ駅は工事中で近づけない。「危ないぞ、シッシッ」と工事のおっちゃんに追い払われる始末。冬の撮影はあわただしく忙しいのだ。(翠)

 12月も押し詰まって、新年早々の北海道方面取材が決まる。決まったはいいが、取材を行なうについて、先方の了解を取り付け、具体的なスケジュールや取材の細目について打ち合わせ、協力を得られるように依頼しておかなくてはならない。それも年内にだ。先方も暮れは何かと忙しいだろうにと申訳なくも思えてくるが、毎度のことながら、なにとぞ、くれぐれもよろしくお願いしますというのが、今の心境だ。(亀)

 

 鉄道ジャーナル4月号は列車ダイヤが特集です。多くの列車が頻繁に行き交う大幹線こそ、ダイヤ作成の叡智が凝縮されているのでしょうが、ローカル線はどうでしょうか。単線で行き違い駅が極端に少ない場合、そこで臨時列車を運転しようとすれば、どうして容易にはスジは引けないようです。ということで、取材に出向いたのは「SL冬の湿原号」が走るJR北海道釧網本線。2月からは「流氷ノロッコ号」や、リゾート気動車による「マウントレイク摩周号」も走るなど、冬のオホーツクラインは輝いています。お楽しみに。
 それはよいのですが、飛行機を降りた釧路は、大晦日に台風のような大雨が降ったあと、気温が急速に下がったそうで、幹線道路の車道以外はどこもかしこもカチンカチンのツルンツルン。わずかの凸凹もクルマのタイヤが削り、人のすり足が削るものですから、氷が見事テラリと光っています。慣れない東京モンは、尻もちつくこと5回(うち釧路駅前の公衆の面前で2回)、歩道から車道につながる、なんてことのない勾配すらおっかなびっくりで、交差点を渡るのも恐怖です。釧網線の運転士さんには、大股は厳禁、かかとから着地しないで、足の裏全体でペタリと踏むように、それでダメならすり足でと教わりました。それでも、またやりました。(亀)

 一方、うれしかったのはタンチョウに会えたことで、茅沼駅に降りてしばらくすると、クァーッ、クアーック…と鳴き声が聞こえ、ふと振り向くと3羽が舞い降りていました。国鉄時代に駅長が給餌に成功したことから、鶴居の規模とは比較になりませんが、今でも餌場として飛来することで有名な駅です。ホームから線路を挟んで目と鼻の先でした。つがいと、体つきはもうすっかり大きく成長し、顔のごく一部だけに茶色を残した幼鳥の一家です。逆光の雪原に屹然と立つ姿に時間も忘れそうでしたが、さすがに、マイナス10度の中で金属のレンズを持ち続けるのはこたえました。
 一定距離以上に人が近づくと警戒するのは当然ですが、列車が到着しても逃げないこともあるそうです。さすがSL列車という得体の知れない怪物の登場には、見事に羽を広げて飛び立ちましたが、週末ごとの運転で慣れてくれば、ひょっとしたらSLとタンチョウのツーショットが夢ではなくなるかもしれませんよ…と、地元の方のお話でした。
 網走に向かう列車からは、3週間も早く接岸した流氷が見られ、同乗していた知床斜里駅員はめざとくオオワシも発見したようです。海が白一色になるこれからの季節、釧網本線はきびしいけれども最も人を惹きつける季節を迎えます。(亀)

 

 東京は寒いが、大阪も寒いこの日、阪神電鉄の新車の撮影会に出かけた。クロスシートの9300系はオレンジと白のボディでなかなかカッチョイイ電車と、カメラを握る手にも力が入る。それはよいのだが、帰りの東海道新幹線車中で不快な事件が1件。隣に座った客が折畳み式の携帯電話を使うでもなく、四六時中パタパタと開け閉めしていたのだ。縁台将棋のヘボ棋士が盤の縁に駒を打ち付けているような音がする。ヘッドホンから流れるシャカシャカ音もさることながら、話し声より気にさわる。貧乏揺すりのほうがまだましかも。(翠)

 名古屋駅と福知山駅の実際を見に、1月中旬、東京から新幹線に乗った。しかし名古屋は寒い。夏は30度をはるかに超える気温になるのだから、寒暖の差は大きい。当地は地下街が発達し、多数の市民が地下に寄りつくと聞いていた。が、意に反してセントラルタワーズのエスカレーターはどこも列をなし、デパートや展望台は大にぎわいであった。地下は思ったほど混雑していない。地下から空中への移動が始まったのか? また、きしめんを2食も食べたが、名物とはいえちょっと飽きてしまった。さて、福知山は鉄道の町と呼ばれる。その言葉を裏切らない駅である。特急も普通も次から次へと入線してくる。普通は2両程度の短区間折返しが多い。しかしホームに待合室がなく、乗客がベンチに座って寒そうに待っていたのが気の毒であった。(嶺)

 1月24日。カメラマン(則)氏はこの業界では有名な「曇り男」で、どんなに晴れた日でも彼がカメラを構えたとたん小さな雲がどこからともなく現われ、お日さまを隠す。写真の中で、列車のあたりだけかげってしまうのだ。しかし、輪をかけてひどいのが私。除雪機械の取材で新特急で水上へ向かう道中、沼田までは晴れていた。雪もない。除雪車の取材ができるのか心配するが、水上の町から立ち昇る湯煙が見えたとき、空は一変して曇天模様。ホームに降りれば雪まで降ってきた。くるぶしまでの雪を体験し取材を終えると、とたんに雲が切れ陽光が降りそそいだ。帰りの電車から見る水上の町のまぶしかったことったらない。これで(則)氏のことを笑う資格がなくなった。(王)

 2月2日、T4編成の電気軌道総合試験車、つまり700系タイプのドクターイエローの走行写真を撮ろうと、小田原付近へ行く。立ち位置は確保、露出はOK、あとは電車がくるばかり… 来た、黄色い電車だ! ところが、反対方向から100系「こだま」が突っ込んできて見事にT4編成にかぶってしまった。どちらかでもあと10秒遅ければ… また撮りにこようにも、ドクターイエローは、毎日は走らない。カメラマンにはよくある話だが。(則)

 2月7日、JR西日本683系の取材で金沢へ。次の「サンダーバード」車両となるもので、白いボディがまぶしい速そうな電車だ。金沢〜福井間を試乗しながら車内を撮影するが、車内は計測機器がびっしり、機械から伸びたコードが床に散乱しスパゲッティ状態であった。かろうじて2両だけ整ってはいたが、テレビ・新聞・雑誌の取材陣でごった返して満足に撮影できない。細かいディテールを撮りにまた金沢へ行かねばならんのかな。ところで、試乗会は朝10時30分集合だったなので朝イチの「はくたか」でも間に合わず前泊にしたが、私以外の東京からきた取材者はみな当日の飛行機だった。往復の「はくたか」はがらがら。けれど越後湯沢の積雪を見ると、途中下車してスキーをしたくなる。ああ、次はスキー板を持っていこうかな。(翠)

 2月13日、連休明け。鉄道ジャーナル4月号の編集作業が終了する。校正が終わりというので「校了」という。あとは印刷所での作業になって、こちらの手は離れるわけだが、品質管理の打合せなどもあれば次号の手配や取材もあるので、実際のところ、のんびりできるわけではない。月刊誌の編集は切れ目がなく、まとまった時間がとりにくいので、ふだんと違うことに手をつけるのは容易ではない。忙中閑ありとはいえ、忙中にできることは限られている。それだけ流されやすいともいえる。ともあれ、無事これ名馬と言うが、この世界では「体元気」が最も大事なことと、ときどき思う。2月は短いが、次の号も取材件数は多い。(デスク)

 

 

「旅と鉄道」2001年春の号の取材で、1月28日〜2月3日に稚内から函館〜盛岡〜東京〜松本〜名古屋〜富山〜大阪〜岡山とまわって四国の八幡浜へ、さらにフェリーで九州入りしたのち別府〜博多〜長崎と、特急列車に乗り継いだ。これだけの長距離となると乗車券の発券にも手間がかかり、稚内発八幡浜ゆきの切符は経由地が多く、RJ社近所の旅行代理店では断られ、最寄りのJR駅にすがった。係員はマルスで発券しようとするが、マルスでは経由地を入力する項目が30個くらいしかなく(旅行代理店で断られた理由もこれ)、手書きタイプとなる。なんともなつかしいタイプの切符に駅員や車掌に感激され、こちらはなんとも気恥ずかしい。そして、八幡浜駅では… 手渡された切符を見て駅員は、一瞬の間のあと、絶叫。「おい、稚内からやて! こんな切符、もう二度と見られんで!」「ほんと、ほんと」 しばらく駅の話題を独占したと思う。もしかして、大切に保管されていたりして。(涼)

 関西大手私鉄をめぐってきました。それぞれについては次号をお楽しみにしていただくとして、その往路、やや食傷気味の新幹線を名古屋で降りて、近鉄のアーバンライナーに乗り換えました。鋭角的ながら丸みを帯びた美しい車体、シックで暖かい内装などの魅力もさることながら、私にとって近鉄の楽しみは大阪線の山越えにあります。33パーミルの連続勾配をものともせず120km/hで駆け上がり、駆け降りるダイナミックさ。そしてこのような山岳地帯に、大和盆地から伊勢や名古屋に向けて一直線のルートを開いた、いにしえの大構想に想いをはせるのです。なにしろその線路が敷かれたのは昭和一ケタのことですから、破天荒このうえない。青山峠こそは新線ですが、それ以外の区間で開業から70年を経て黒ずんで苔蒸したトンネルなどを目のあたりにすると、胸が踊り、熱くなるのです。私がこの線路の魅力にとりつかれた遠因は、何を隠そう「鉄道ジャーナル」1973年2月号、小学校6年のときのことでした。(亀)

 続きです。関西からは「あさかぜ」で帰京しました。18時ごろまで各社を取材し、その後、旧知の友人と一献かたむけると、とてもその日の「のぞみ」には乗れません。そこで登場するのが寝台特急。「サンライズ」の個室は魅力的ですが、東京着が少しでも遅いほうが少しでも長く眠っていられるので、「あさかぜ」を選択したのです。かなりいい気分になって0時半に乗り込むや、すぐにシャワー券を買い求めてすっきりとし、あとはベッドにもぐり込むだけ。瞬時に深い眠りに落ち、気がつけば翌朝、横浜到着の案内放送。まったく理想的なパターンでした。改めて見ると、車両は古いがきれいに掃除が行き届いていたのはうれしく、またときおり利用しようと思ったのでした。ただ、「のぞみ」以上に値段が高く、出張旅費に自腹を上積みしなければならないのは痛いですがね。(亀)

 3月も半ばになって気温も上がり、風もぬるくなってきた。鉄道ジャーナル5月号の編集は、2月が日数の少ないこともあって繁忙をきわめ、帰宅時間も連日おそくなった。他の出版社の編集部では泊り込みも多いようで、何日も家に帰っていないという編集後記を読むこともあるが、鉄道ジャーナル社はビルの管理上の問題で泊りはできないので、とにかく帰ることになっている。徹夜が朝寝を生み、スタートが午後になって、また徹夜になる。そういう習慣は、深夜放送を聞きながらの受験勉強のようなもので(最近はそういうこともないようだが)、テンションが上がって快感につながる一面もありそうだが、あまり長く続けるものではないだろう。会社によっては半ば住み込みの編集者もいると聞くが、あまり好ましい結果につながるとは思えない。最近は、出版自体、風向きが変わってきたので、今後は編集者一般の生活習慣も変わるかもしれない。さて、春から夏にかけては鉄道界も変化が多く、雑誌のほうも楽しんでいただけることと思っている。(デスク)

 3月9日、JR西日本の新車683系の列車追跡取材である。大阪発10時42分の「サンダーバード15号」は9両編成で、富山方3両が681系で和倉温泉ゆき、後ろの6両が683系で富山ゆきという編成だ。和倉温泉ゆき車両は温泉旅行のおじさん団体が乗車し、大阪出発前からにぎやかで大いに盛り上がっている。本命の683系には、反対にお嬢さんのグループが乗っていた。モデルを同行させる予算がないので、平身低頭、お願いして彼女たちにはモデル役を務めてもらう。車内は楽しそうな行楽客が多かったが、車窓は雪。それも大津から真っ白で変化に乏しい。ところで、「列車追跡」となるといつも車掌さんにお世話になる。今回の車掌さんは、なんと鉄道ジャーナルを愛読してくれているそうで、うれしくなる。取材の主旨を理解してくれている車掌さんの場合、取材活動もスムーズに進み助かるということもある。(翠)

 3月14日、さっそく「白いソニック」に乗ってきました。昨年3月にデビューした「白いかもめ」の増備車のようなものですが、またしても「JR九州はやってくれるなぁ」というのが率直な感想でした。ワインレッドや栗色の総革張りの座席は、列車の座席とは思えません。利用者もだれもが「かもめ」体験者というわけではありませんから、純粋な新車として味わう人も多く、乗り込んだ瞬間に発する驚きの声は、取材者からの目で見ていても、わがことのように、楽しくなります。レールファンのみなさんにとって最近の特急の最も重要な関心は「白鳥」の廃止に代表されるような国鉄型の衰退でしょうが、一度、九州に足を向けてみてはいかがでしょう。ぜひともカルチャーショックを味わってみてほしいものです。(亀)

 3月27日、埼玉高速鉄道の開業式を撮影。営業は翌日からだが、この日11時過ぎに浦和美園駅で式典が執り行なわれた。最前列を確保するため2時間前にホームに降りたが、すでに鉄道誌や業界紙のカメラマンはスタンバイしていた。3ヵ月前の都営大江戸線開業式では扇千景国土交通大臣が臨席していたが、今回は代理。カメラマンの人数は時間が近づくにつれどんどん増え、あらかじめ決められていた報道枠をはみ出てしまうほど。よい位置をキープしようと押し合いへし合いを繰り返すなか、テープカット・くす玉割りと進み無事に終わった。さて、メインの撮影時間はわずか10秒ですんだが、10秒で撮った写真が本誌に載り、みなさんに観ていただくのだから、熱がこもる。(翠)

 

 

 4月5〜6日、中央東線小淵沢近辺へ春の誌面を飾る写真を撮りにゆく。春といえばサクラ。ところが当地のサクラはまだつぼみ状態で、開花まで10日くらい早かった。さすが高原の町だ。下界(東京)では、もう散り始めて、風が強ければ桜吹雪となるほどなのに。新府〜穴山間の有名なお立ち台「桃源郷」のモモの花もまだ早かった。これでは「おまんまの食い上げ」だ。ふと山に目をやると、八ヶ岳がくっきり。これはきれいだ。急遽ターゲットを変え、八ヶ岳をバックに「スーパーあずさ」などを撮影する。かように、現地で変更を迫られることがままある。(則)

 今年もゴールデンウイークが近づいてきた。一般には大型連休でレジャーの予定などで楽しみなことと思うけれど、月刊誌の悲しさで連休は前後にしわ寄せされ、積み残しは連休中の作業を余儀なくされる。取材の日程も立てにくい。年末の繁忙期は慣れているが、ゴールデンウイークはつい油断をしてしまい、段取りが後手に回る。毎年のことながら苦しむことになりそうだ。ついでに、ハッピーマンデーも編集のピークと重なることが多く、編集部には悩みの種。まあ、忙しいのは何よりと、なぐさめて?くれる人もいるのだが…。(デスク)

 4月16日、電気・軌道総合試験車「ドクター東海」の取材をしてきました。新幹線の「ドクターイエロー」は有名ですが、JR東海は在来線用も持っているのです。乗車区間は名古屋〜塩尻間1往復でしたが、次の日は飯田線に向かうなど、ひと月周期で管内の全線を回るそうです。非電化線区もあるので車両は気動車であり、ディーゼルエンジンの高なりを聞きながら木曽谷をたどるのは初体験でした。中間の軌道試験車の3台車の音も、タタタタタタン…と独特でした。それはさておき、肝心の取材対象である車内の機器やシステムについては、門外漢にとって手強すぎる相手で、みなさんにどう伝えたものか…と、執筆前から冷汗をかいています。それにしても、120km/hで走りながら枕木にレールを固定するボルトのゆるみをすべてチェックしてしまうなんて、信じられますか? ともかくがんばりますが、こうした車両があってこそ、振子特急はじめ高速列車が走る線路が維持されるのですね。(亀)

 4月17日、新京成電鉄へ向かう。いい天気だ。新京成線は都心から放射状に延びる京成線・JR線・北総線などを横切っている。ために乗換え客が多いが、始発駅の京成津田沼は京成線との中間改札がなかった。新京成は名前のとおり京成グループだと、ちょっと考えれば納得できそうだが。これにはびっくり。もしかしたら改札口を見つけなかったのかもしれないが… 比較的新しい北総線の高規格軌道と比べると、新京成線はのんびりムードがただよっている。車窓も畑と団地ばかりで、空が広い。飯田橋までの通勤時間を考えなければ、住んでみたい気がしてきた。それに反して列車はテキパキとしている。つまり加減速が大きく、あまり惰行運転をせず、停車中のドアの開け閉めも速い。オーバーな表現だが10秒くらいしか開いていないのではなかったか。ビューっと走ってググッと停まって、パッと開いてパッと閉じる、という感じ。みなさんよく慣れてらっしゃる。カーブの多い線形で時間を短縮するには、車両の改良もさることながら、こうしたテクニックも必要なのだなぁ。(嶺)

 5月9日、東急電鉄初の特急列車の取材だ。2000年11月号「新生東急目黒線ガイド」のときと同じく、吉川文夫さんとご一緒した。特急のことは吉川さんの軽妙な文でつづられる本誌8月号を御覧いただくとして、9日は久しぶりの雨で撮影がしづらかった。4月は雨が少なく取材がばっちり進んだのに、この日に限ってなぜ? 車内写真の仕上がりが心配される。当然、走行写真は撮り直しとなる。さて、東横線の「お立ち台「といえば、都立大学〜自由が丘間。上り勾配をグイッと駆け上がって目の前で右へギュイっと曲がる。1986年6月中旬に伊豆急「リゾート21」が東急東横線でお披露目走行したとき、ここで撮影した写真が本誌1986年9月号に掲載されているので、ご参考までに。(翠)

 5月も半ばになって、晴れた日は蒸し暑いほどになった。編集部のある部屋はなぜか夏は暑く、冬は寒い。どういうわけか、エアコンより窓を開けて…という人が多いことや、エアコン自体が古くて性能がよくないことなど、快適な環境が得られにくい条件がそろっている。一方、通勤に使う電車も103系からE231系まで、私鉄のほうも各種あって、車内環境はさまざまだ。窓を開けない前提の209系やE231系は、この時期からほどよい冷房が入っているが、古い電車はそうでもない。とくに気温が低めで雨が降る日の、車内の蒸し暑さは格別。外が涼しいので冷房不要と判断するのだろうか。もう、何年も感じてきたことではあるが。なお、編集部の若手は現在、取材に出かけている。来週には、この欄にも新しい話題が入るだろう。(デスク)

 5月16日、阪神・山陽直通特急の取材である。3月10日のダイヤ改正に合わせて阪神が送り込んだオレンジ色のボディがさわやかな9300系急行車に前日乗車した。今日は走りを撮りたいと沿線に繰り出した。が、日中は来ない。どうやらこの日は朝の区間特急で走ったのち、夕方の準急まで尼崎車庫でねむっているそうだ。翌17日も朝の準急から夕方の急行までは石屋川車庫で休む。新車なのにこんな運用もあるんだ。この日は天気がよく、気温もグングン上がって、水分補給に缶ジュースをがぶ飲み。ちょっとした散財だ。いつもは夜のビールで散財するのだが… (翠)

 

 

 6月12日、梅雨空の真っ只中に黒部峡谷鉄道の取材へ行った。山中に分け入るほどに雨脚は強くなったが、そこは元祖トロッコ列車。団体客がバスで乗りつけては、開放型トロッコの中央部にみな雨カッパを着用して重装備で陣取っている。かなり靄が出て景色はよく見えないというのに。お客は平日とあって、熟年層が大半を占めている。実際トロッコに乗ってみると、意外と雨が吹き込まないのだった。

 さて、取材のときはいつものことだが、今回も立食いそばのお世話に。宇奈月に着き、まずは腹ごしらえに山菜入りの峡谷そばを一杯。欅平まで行ったあと、鐘釣の駅で昼過ぎとなり、今度は峡谷うどんを。雨と風で冷えた身体に暖かい汁物はありがたいのだが、なにせ二度も続くとちょっと… ところで、道中ラッキーだったのが、宇奈月へ向かう富山地鉄線で往復とも元西武レッドアローに乗れたこと。普通列車としての運用で、地元の高校生でにぎわっていた。かつての華やかなりしころを知っているわれわれ取材班も、ちょっとトクした気分にひたれたのだった。(嶺)

 

 5月21日、本日は名鉄の取材。ホームでの酒類販売を控えようという流れになってきている東京と対照的に、名鉄の大きな駅では、ホームにうどん屋・おでん屋・一杯呑屋などが複合した店舗がある。乗換え待ちに都合よく、食べたうどんはとてもおいしかった。豆腐田楽も捨てがたく食指が動いたが、ここで注文すると「ビールちょうだい!」の掛け声が出そうだ。夕方になると、案の定、いいにおいに誘われて帰宅途中のおじさんたちが店舗に吸い込まれていく。通勤経路のオアシスになっているのだろう。しかしここにも「泥酔の人にはお酒は販売しません」なる旨の貼紙があった。

 さて、名鉄といえば赤いパノラマカー。1960年代の車両を代表するパノラマカーは遠の昔に特急運用から離れ、普通として、よくても急行で運転される寂しさ。朝の通勤時間帯にもパノラマカーが使われ、パノラマカーの先頭展望席にはネクタイを締めたサラリーマンがかぶりついているのが見えた。きっと、子供のころにあこがれた車両なのだろうな。(嶺)

 

 6月18日、青森から「あけぼの」に乗ってきました。発車は18時05分とまだ日のあるうちですが、黄昏ゆく空を見ながらの旅立ちは、余裕が感じられていいものですね。のんびり列車の旅にひたれます。ただ、同時間帯以後に羽田ゆき飛行機は3便もあるのですから、青森から寝台に乗ろうという人は限られています。いったい、どんな人がどこから利用してくるのでしょうか。

 それはそうと、朝7時前の東京発新幹線に乗ろうと家を5時半に出て、往路、弘前の町に立ち寄って、その晩の夜行取材ですから、頻繁に停車するうちはいいのですが、夜も深まって停車駅間が延びてくると、あと20分、あと15分…と腕時計の針の進みを見るばかり。せめて深夜最後の停車駅までは見届けなくては…と思うものの、瞼は重い。一方、カメラマンは朝の空の変化が勝負といいますから、未明には起きなければなりません。これが夜行取材の現実です。以前、別の列車のロビーカーで、対向列車とすれ違うまでは起きているんだと、嬉々としていたレールファンにお目にかかりましたが、「たのむ! それまでの様子を箇条書きにメモして、明日の朝に渡してくれ!」と、お願いしたことが… もちろん冗談ですが、彼らは苦にする様子もなく自らの計画を実行していました。…やはり、夜行列車は仕事や日々の欝憤から離れて、ビールと肴で一杯やりながら、というのがいいなあ。(亀)

 

 7月6日、昨冬に氷の上で何度もスッテンコロリンした釧路に、再び行ってきました。今回は懐かしい愛称の「まりも」が復活し、その特別バージョンとして運転された札幌発根室ゆき「北斗星まりも」の追跡取材です。乗車日の前後は本州にかかるべき梅雨前線を北海道が一手に引き受けたような悪天候で、霧に雨に強風まで混じる始末。滞在して各地を撮影していた沖カメラマンは、「撮れまっせ〜ん」と会社に急報を入れるような状況でした。でも、乗車日の晩からは一転して晴れわたり、月明りと、翌朝は雲一つない青空が車窓に広がりました。雨男対晴れ男の対決、今回は私の勝ちです。

 当日から運転を開始した「SL根室号」の撮影部隊や、弓道の試合に釧路へ向かう大学生たちで寝台も座席もロビーカーも盛況となり、加えて北海道の車掌さんのなんとフレンドリーなこと!! ひさしぶりに活気ある夜行列車の姿を紹介できそうです。そうそう、限定発売ですぐ売り切れた「スーパーおおぞら」のチョロQや、「北斗星まりも」乗車記念のオレンジカードも買ってきました。RJクイズのプレゼント賞品とする予定ですから、どうぞ、ふるってご応募ください。お待ちしています。(亀)

 

 6月30日〜7月7日の日程で、「北斗星まりも」をはじめJR北海道のダイヤ改正にまつわる列車を撮影に行く。連日曇りや雨、ときにどしゃ降りと、鉄道カメラマン業界で「雨・曇り男」として名高い私の実績に恥じぬ天気であった。俗に言う「蝦夷梅雨」だ。同じ時期、東京では真夏日を記録していたのに、こちらは春先の気温で、釧路など朝晩には暖房が入り、最高気温は14度。まさかこんなに寒いとは思わず、Tシャツ姿がチト辛い。わが愛機も寒さや雨・霧にやられやしないかと心配になるが、できあがり写真は、9月号88ページのRAILWAY TOPICS、そして10月号「北斗星まりも」追跡記事をご覧ください。霧にむせぶ夜行特急「まりも」はいかがですか。(則)

 7月10日、京阪電鉄男山ケーブルがリニューアル開業した。9日発の「銀河」で大阪入りしたが、「銀河」の指定席が6両のうち1両しかない喫煙車で、煙草をのまない私は一晩中こもる紫煙に苦しむ苦しむ。大失敗だ。さて、大阪在住のカメラマン仲間が、特急電車がすっきり写ったかっこいい3種類の京阪Kカードを持っているのを見て、ぜひ欲しい、コレクションに加えたいと探しまわったが、特急車内のみ販売であった。これは京阪特急ご乗車記念カードなのだ。ちょっと残念。代わりと言ってはなんだが、京阪のキャンペーンガール「おけいはん」のカードが丹波橋駅にあったので買って帰る。すると翌日、会社で隣の席にいる編集部員の目にとまり、即座に奪われた。きれいな女性のカードだったのに。(翠)

「北斗星まりも」の原稿を仕上げたと思ったら、また、「釧路へ飛べ」との指令が下りました。今度はバーベキュー列車とふるさと銀河線SL列車の取材です。ひと月に2回もの北海道。どうだ、うらやましいだろう…などと、ふんぞり返れるほど優雅ではありません。休日出勤の日曜日、釧路空港から駅に直行し、「バーベキュー号」を取材したのち、行き違い列車で釧路にとって返し、即、「ノロッコ号」から普通列車を延々乗り継いで、夜の北見に21時着。翌日は5時間乗車したのち帯広経由で空港に向かい、最終便搭乗。取材を終えた池田ワイン城で3杯試飲したのが、唯一ホッとした時間でした。しかし、あの丘に登ると十勝平野ってホント広いんですねぇ。(亀)

 8月20〜27日に北海道へ。北海道は6月30日〜7月7日に「北斗星まりも」の取材でも訪れているが、今回は室蘭本線の撮影である。1週間の長丁場で、列車の走行写真と沿線風景を撮らねばならないので、マイカーに乗ってフェリー「さんふらわ」で渡道した。前回は雨と霧に悩まされたが、今回は台風11号に遭遇。本州をゆっくり縦断し、各地に雨を降らせて、北海道に上陸するころには温帯低気圧に変わっていたはずなのに、風雨ともに強く撮影どころではない。室蘭付近でまるまる2日間、マイカーの中にカンヅメだった。ワンボックスタイプの愛車にたたきつけるような横風が吹き、そのたびによく揺れる。生きた心地がしなかった、とは大げさだが、しかし自然の力には脱帽。沼ノ端〜岩見沢間は長万部〜沼ノ端間に比べてあまりに列車本数が少なく、67kmの区間ながら撮影は1日がかりであった。(この距離は苫小牧〜室蘭間とほぼ同じ) 室蘭本線は沼ノ端を境に幹線とローカル線の二面性を見せるおもしろい路線だ。
 さて、岩見沢駅は仮設の駅舎で営業中だった。古い駅舎を建て替えるのかと考えたが、昨年12月10日に漏電が原因で駅舎が全焼したことを思い出した。早く以前のような美しい駅舎としてよみがえってほしいものだ。(則)

 

 9月11日、長年、国鉄色の485系が活躍してきた北陸路の特急「しらさぎ」を今回は取材した。偶然にも、米原駅での分割併合作業を取材をしたこの日が国鉄色編成の運転最終日で、ホームには最後の雄姿をカメラに収めるべく、列車の到着を待ち構えるファンが何人もいた。往年の姿をとどめているとはいえ、485系の外観にはかなりの疲労が感じられた。長い間、ごくろうさま。ところで、米原駅では、JR西日本〜JR東海相互間の乗継ぎも見られる。東海道本線上りでは、8〜12両も連結される新快速から2両編成の大垣ゆき普通列車へ乗り移る。これで大丈夫かなと心配になるが、立客が出ない程度に座席が埋まる。たまに、北陸本線の419系も顔を見せ、貨物列車も通過してゆく。にぎやかな駅だ。この米原駅で毎日数回行なわれる「しらさぎ」分割併合作業については、12月号の記事をお楽しみに。

 翌12日は名古屋から富山まで「しらさぎ」の追跡取材をし、週刊誌でも評判になった金沢駅の1個1万円の弁当を探るべく、販売元の「大友楼」を訪ねた。一体、だれがそんな高価な弁当を買うのか、何が入っているのか、味はどうなのか、まさか箱は漆塗りだとか…などと、さまざまな疑問を尋ねてみた。同社が発売する他の駅弁とは別に、この豪華弁当だけは料亭の厨房で作られているという。ために市街地のなかにあって、そこだけまるで別世界のように静かな座敷を借りて、1万円駅弁を撮影させてもらった。取材班の目の前に現われたその弁当は果たして… 目黒カメラマンの力のこもった撮影も見ものです。(嶺)

 編集部は連休でのんびりしている10月8日、タビテツの取材でライターの荒井かずみさんとともに「ムーンライト高知」に乗り、土佐電鉄を訪ねた。「ムーンライト松山」を連結するのは昨日までということで、8日は座席車2両、カーペット車1両の3両編成とささやかなもの。これをブルートレインと同じEF65が牽引するのだから、申訳ないようだ。乗客は、カーペット車は三分の2程度いたが、2両ある座席車のうち1両は、たった1人しか乗っていない。シーズンオフとはいえあまりの光景に、写真を撮るこちらも困ってしまった。さらに3時04分着の岡山で若い女性2人が降りた。USJ帰りだろうか。さてカーペット車の乗り心地は…と報告したいところだが、取材時は一睡もしないし、できない。横たわったお客さんは気持ちよさそうに眠っている。しかし、寝不足などなんのその、翌日も朝から撮影だ。次、いってみよ〜。

 翌9日の高知駅に到着。ここからは荒井さんとは別行動になる。駅前に立ちびっくり、土佐電鉄がまっすぐ駅前広場に乗り入れているではないか。広場の片隅でちんまりお客を待っていた記憶があったが、路面電車が見直されているようでご同慶の至り。市内では、土電名物の外国電車シリーズのうち「ポルトガル電車」910号が走っていた。ほかの外国電車は?と、車庫をのぞいたけれど見かけなかった。はりまや橋そばのカレー屋で昼食をすませ、当日最終の飛行機で帰京した。もし高知で宿泊できたら、カツオのたたきに地酒で大満足の旅だったが。今度はお願いしますよ。(翠)

 

 九州の鳥栖・肥前山口・早岐と、四国の宇多津・多度津と合計5ヵ所で分割併合の様子を取材してきました。列車を連結する作業は一般の人々もなんとなく関心が向くようで、山形新幹線や秋田新幹線の福島や盛岡での作業は、いつも視線を集めていますね。以前、有名だったのは碓氷峠の機関車連結でしょう。ところが、これを取材するとなると簡単ではない。列車追跡の文中ならば数行で収めてしまう作業をピックアップして観察するわけですから、正直ビビる取材でした。事前に作業のあらましは聞きましたが、ほんの数分(早いと1分)のうちに運転室やホームの機器を操作し、線路に降りたりしながら終了してしまうのですから、目をどこに向けたらいいのかわからない。それに、こまかい作業手順のすべてに意味があり、それを知らないといけない。最初の駅では雲をつかむようで、次、その次と移動するうちに、やっとディテールがわかってきたというのが真実です。みなさんも今度の12月号を手に、分割併合駅に出向いてはいかがですか。ちなみに、私は今回初めて、取材にビデオカメラを使いました。(亀)

 路面電車が走る大通りをシュポ、シュポ…と汽車が走る。東ドイツには有名なスチームトラムがあるようですが、日本にもそんな光景が出現しました。10月15日に取材した伊予鉄道の「坊っちゃん列車」がそれで、まもなくお届けする2002年の新年号を御期待ください。日本ではさすがにホンモノのSLとはいかず、ディーゼル動力なのが残念ですが、それでも滑稽といったらよいのか、ユニークと言ったらよいのか… 松山を訪れる楽しみが増えました。でも、路面電車を撮影したことのある人ならばわかるでしょうが、「そこのクルマ、来るな!」「頼む、早く走り去れ!」「そこで右折するなよ!!」などと、ファインダーをのぞきなかせらブツクサ出る独り言と、への字にゆがんだ口。まわりに聞こえたらどうしましょう。「胃が痛くなる」と言っていたカメラマン(翠)氏の気持ち、よくわかります。

 続いては2月号取材で11月10日、今度はホンモノの蒸気機関車、「SLやまぐち号」に乗ってきました。今や全国で多くのSL列車が復活をとげましたが、大型機が千分の25の連続勾配に挑む姿を堪能できるのは山口線をおいてありません。必至の苦労をしている機関士さんには申訳ありませんが、雨や露に濡れた線路で空転し、速度が落ちてしまったときの迫力といったら、そりゃもう… 時速10kmにも満たず牛歩のごとしで、どうにか中腹の駅に着くような光景を目の当たりにすると、なにかもう心情移入してしまって… 特集は「客車」ですから独特のレトロ調12系を中心に紹介しますが、あわせて蒸気機関車の息づかいも伝えられたらと思います。峠を克服したあとの素朴な農村の光景も素晴しい。どうぞ津和野に足をお運びください。JR西日本と観光協会に代わってお勧めいたします。(亀)

 

 今回は青森から北海道の客車列車の取材だ。11月8日、まず、東北新幹線と東北本線を乗り継いで青森へ向かう。来年12月に開通予定の東北新幹線八戸駅は、ホームの囲いもできあがり、その全容を現わしつつあった。新幹線の延伸は、今後の北東北の交通事情を一変させるような変化を与えるのだろうか。指定席・自由席ともほぼ満席だった「はつかり」からも、ここで半分近い乗客が下車する。昼過ぎに青森駅で中井カメラマンと合流。これから青森〜函館間を「海峡」で1往復し、三度青函トンネルをくぐり、今夜の「はまなす」で札幌へ向かう予定だ。青森は意外なほど暖かかった。津軽半島も天気に恵まれて、車窓からは下北半島の山々がくっきり見渡せた。地元の人でもあまりお目にかかれないという。ところが、トンネルを出て北海道に着くと雲が垂れ込め始めている。津軽海峡を挟んで、空模様はこうも違うものなんだ。さて、函館から青森へ戻る「海峡」は取材対象ではなく、カーペットカーに陣取って夜行取材に備えて仮眠をとる。床がほんのりと暖かく、すぐに船をこいでしまった。往路と帰路の車掌さんが同じ方だった。横になっている姿を見られて照れくさかった。

 11月10日は「SLニセコ号」の取材。幸せなことに今日も天気に恵まれた。札幌駅のホームにC11と旧型客車が入線すると、一躍、注目が集まる。煙をたなびかせ、のんびりしたスピードで蘭越をめざした。しかし、峠にかかるとSLはあえぎあえぎ登っていく。雪は降っていないし牽引機も異なるけれど、鉄道ジャーナルビデオ「雪の行路」そのものの光景だ。家族連れやグループ客が多く、和やかな車内の雰囲気が印象的だった。晩秋の北海道の景色も合わせて2月号に掲載します。お楽しみに。(嶺)

 

11月14日、JR貨物EH500形のマイナーチェンジ第3次量産車を撮影に、仙台総合鉄道部へ。現地に13時集合だが、前日、東北新幹線が送電障害で止まったため、おそらく帰れなかった人が殺到する、あるいは列車が遅れるなどの影響があるだろうと想像して、早めに新幹線に乗った。ところが期待(?)したような混乱はなく、8時半には仙台着、これから4時間どーすりゃいいんだ。そこで仙台まで来たんだからと、仙石線の103系電車を撮影した。
 さて、第3次量産車の変更点は、フロントマスクの黒い部分が窓まわりだけになり、車体色の赤もエンジ系からオレンジ系のハデなものに変わった。くわしくは2月号をご覧ください。いつも感じるのだが、JR貨物の現場では、車両を撮影しやすいところに動かしてくれたり、こちらのリクエストにできるだけ応えてくれたりと、なにかと気を遣っていただけるので恐縮する。この日も、仙台総合鉄道部を訪ねたのは私だけ(つまりRJの独占取材!)だったのだが、気持ちよく対応していただけた。感謝感激。
 取材を終え、門を出たところで一服つけようとタバコをくわえ、ポケットに手を入れたら大切なジッポーライターがない! 病み上がりの身体にスーッと血の気が引いていく。広い構内で落としたとしたら、森の中で枝を探すようなものだ。どうしよう、と、反対のポケットを探ったら、こちらにありました。チャンチャン。(則)

12月1日、JR東日本がダイヤ改正を行ない、中央本線の特急「あずさ」3往復にも、新型のE257系が投入された。今回は運転初日の一番列車の取材だ。9月2日に「さよならパノラマエクスプレスアルプス号」の取材でもお目にかかった面々が、出発式を取り囲むカメラの放列のなかに見受けられる。レールファンの期待は大きいようだが、ホームは意外なほど静か。淡々と列車に乗り込む乗客が多い。しかし、走り出してみれば、ハイカーの姿も多く、車内はほぼ満席だ。沿線の停車駅には運転開始を知らせる垂れ幕が掛かり、ミス松本による乗車記念品の配布もあって、歓迎のムードが漂っていた。新時代の特急を思わせる、E257系の乗車レポートは3月号をお待ちください。
 さて、久しぶりに訪れた松本は、駅の周辺に新しく道路ができたりして、変貌を遂げていた。来年はサッカーワールドカップの出場国・パラグアイのキャンプ地にも決まったから、海外にも知名度は上がるかもしれない。編集部(瀧)の推薦で訪ねたカレー屋は、昔の土蔵のたたずまいを残し、味も量も大満足。山崎カメラマンは食べ残してしまうほどだった。(嶺)

 

To be continued.

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