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「鉄道ジャーナル」の誌面は取材記事が多いことが特徴の一つだが、月刊誌の宿命として時間の制約が大きく、プランニングから取材手配、実行から原稿作成、事後処理まで、短期日にあわただしく行なっているのが実態だ。したがって、取材にまつわる悲喜こもごものエピソードがかず多い。取材・編集日記の一端をご紹介すると…。

最終更新:2004/02/18 〔 No.3 〕 | << 戻る | ☆バックナンバー 〔 No.1No.2
 

〔2003年〕

 ご無沙汰して申訳ありません。私が取材日記を書くのは、いつ以来でしょうか。昨年12月のダイヤ改正では、記念すべき初日の「こまち1号」と「スーパー白鳥1号」を八戸で乗り継いで東京から函館へと向かいました。昨年7月には並行在来線の取材で盛岡や八戸を訪れ、その前にはタブレット取材で八戸線に足跡を印しましたから、この方面にずいぶん縁を持ったものです。
 八戸線取材では、陸奥湊駅前の市場で舌なめずりをし、鮫の蕪島に寄り道して(きわめて目つきの悪い)ウミネコに囲まれてきました。次の在来線取材では、駆け足ながら沼宮内駅を玄関とする岩手町のささやかな旧市街地に年季の入った木造旅館を発見し、思わずカメラを取り出してしまいました。さて、今回の一番列車追跡では、何が楽しめるかな?と出かけましたが、じつはその時期は前号の編集の佳境で、とんぼ返りを余儀なくされます。そして、函館駅改札口のお祭騒ぎの雑踏のため、折返しの特急券を車内で求めることにしたため、北海道に上陸しながら、駅の外に一歩も出ないという怪挙(!?)を成し遂げました。以前の、釧路滞在30分で空港へ…という記録の大更新です。しかも無念の…。
 それはともかく、車内で私の写真を撮ってくださったレールファンが、その写真を送ってくださいました。ありがとうございます。また、どこかの初列車でお会いできるでしょうか。 (亀)

 

 

 2月5日、タビテツの撮影で山陽新幹線へ。新尾道、東広島、新岩国の3駅の表情を撮影するのが目的だが、この3駅、どれもよく似ている。JRの在来線と接続していないのが1点、駅の構造も似たり寄ったりで、面白味に欠ける。駅前のにぎわいもあまりなく、東広島は開発途中としてもコンビニがあるだけで寂しい。新岩国は駅前にコンビニも見あたらず。昼食に困ってしまった。このあと7日、九州に渡って「つばめ」のビュッフェの最期に立ち会った。ビュッフェ車内はレールファンばかりであった。
 この旅で初めて尾道へ寄った。眼前に海、背後に山と、雰囲気は最高。大林宣彦監督の諸作品を思い出し、胸がキュンとなる。みなさんもぜひ一度、おでかけを。(翠)

 

 埼京線・りんかい線直通運転の取材で、ほんとうに久し振りに川越駅に降り立ちました。池袋から30分という近場であり、学生時代は乗り降りする機会も多かったのですが、いざ、小江戸の街を歩きとなると今回も実現せず。近すぎるところは、どうも足が向かないようです。それはさておき、当時、馴染んだ川越駅は木造平屋駅舎、東上線はカステラカラーで釣掛、半鋼製の7800系も力走しておりました。木の床にセンターポールが立ち、ノッチオフにした途端、揺れたこと揺れたこと。そして、川越駅で隣のホームを見ると、川越線はキハ35形の2両編成。暑苦しいタラコ色にエンジンがギロギロ唸り、夏は傍に見ているだけで汗が吹き出てきそうでした。あれから二十余年、浦島太郎の気分で呆然と駅に立ちました。(亀)

 3月6日〜7日 「銀河」の乗車取材に合わせて、京都にある梅小路蒸気機関車館を取材してきました。「銀河」の車内では本誌の読者に会い、「取材がんばってください!」と励ましていただきました。感謝。(あとは、6月号の記事をお楽しみに)大阪に着き、眠い目をこすりながらまずは腹ごしらえです。大阪駅の構内には改札近くに意外といろんな店がありましたが、モーニングセットのディスプレイに誘われて、オープンスタイルのカフェに入りました。時間は朝の8時前、私と目黒カメラマンが座っている間にも、たくさんの人が入れ代わり立ち代わりして、みな慣れた様子で新聞などを読みながら朝食をとっていました。きっと、これが通勤スタイルなのでしょう。
 さて、次の約束の時間には早かったので、京都への移動は京都線の各駅停車にしました。新大阪へ着くとほとんどの乗客が降りてしまい、9時近かったとはいえ、首都圏のラッシュと比べるとそのゆとりはうらやましいばかりです。複々線で脇をすり抜けてゆく快速電車も、乗客はクロスシートで着席通勤。やはり、首都圏の通勤事情は全国的にも異様なのでしょう。われわれも気兼ねなく、しばしの眠りにおちてしまいました。(嶺)

 

 

 3月16日〜18日 青函トンネル開業15周年を記念した斜坑ウォークに参加するため函館へ。春まだ遠い港町には、まだ随所に雪が残っていた。一方、海面下240mの青函トンネルの中は気温20度で湿度90%もあり、また海底駅から地上までの1100段余りの斜坑階段昇りは久しぶりに大変良い運動となった。残念ながら、その後の温泉入浴には同行できなかったが…(詳しくは、6月号の記事をお楽しみに)
 さて、当日は「JR東日本パス」の利用最終日。次の取材地−弘前へ向かう列車には、東日本エリア最北端に近い蟹田からも,いつになくたくさんの乗客が乗り、青森では立ち客が出るほどに。さすが、乗り放題切符の効果は大きかったようだ。翌日は、特急「つがる」の同乗取材。雪を頂いた岩木山が気持ちよく出迎えてくれたが、平地も一面の銀世界が広がっていた。桜の名所−弘前城もまったく雪に埋もれて、津軽の春もまだまだ遠そうだ。津軽と言えば、りんごと津軽三味線が有名。市内にある三味線ライブハウスでは、熱のこもった演奏が繰り広げられていて、りんごのワインを片手に思わず聞きほれてしまったのだった。「つがる」の乗車記事は7月号で掲載予定です。(嶺)

 5月8〜13日、(嶺)氏とともに山陰地方の国鉄型車両の乗り継ぎルポをした。行程は岡山から伯備線まわりで、キハ181系「いなば」〜キハ28系〜キハ40系〜キハ181系「いそかぜ」で小倉まで。全盛時を知っている私は懐かしさもひとしおで、さすがにくたびれた印象はぬぐえないが、丁寧に使われている印象をもった。しかし「いなば」の乗車率はよいが、そのほかは寂しい限り。(嶺)氏はまあ、マメにインタビューをするしメモをとる。なかなか懸命で頼もしい限りだ。
 天候はおおむねよかったが、走り撮影の1日だけどしゃ降りで、増感してもダメ。もうどうしようもない。こういうカメラマン泣かせの日は、おとなしくしているしかない。(則)

 

 5月22日〜25日、8月号・9月号と別冊の取材で九州へ。熊本の車庫に、北九州の複々線、最後は「はやぶさ」の乗車取材と盛りだくさんだった。熊本、博多、北九州はJR九州ご自慢の特急に乗ればスイスイ移動できる距離なのに、気候も違えば、街の雰囲気もそれぞれに個性が感じられた。なかでも、夕方の博多駅から発車する特急列車はデッキに乗客がひしめくほどの盛況ぶりで、アジアの新興都市を思わせる活気がある。それにしても、「つばめ」や「かもめ」で通勤できるとはうらやましい限りだ。
 取材中はやっぱりホームの「立喰い」の世話になったが、北九州で食べた「かしわうどん」はうまかった。小倉、門司、折尾と駅が変われば気分も変わり、また、足が向いてしまった。締めくくりにと、長丁場の「はやぶさ」取材を前に食べた熊本ラーメンは、まず、店内にあふれる豚骨スープの匂いに圧倒されてしまった。時間がなくて食べられなかった博多ラーメンだけは、次回の楽しみとしよう。「はやぶさ」の列車追跡記事は8月号で。(嶺)

 

 九州新幹線に投入される800系電車の報道公開に出かけてきました。山口県下松の日立製作所笠戸事業所内での公開でしたが、JR九州本社の取材もあり、福岡に入って翌日、用意してくれたバスに地元マスコミと同乗して向かったのです。途中、関門海峡大橋たもとの和布刈(めかり)サービスエリアでトイレ休憩。その高い山腹からは門司港の岸壁ぞいに延びる臨港線の線路が目に止まりました。DD51は来ないかなぁと待つものの、ものごと、そうは思いどおりにはいきません。(人はそれを日ごろの行ないと言います) そういえば、門司港レトロの街整備の一環で、臨港線にキハ07形のレプリカを走らせる構想があったようですが、実現したら一興ですね。
 さてさて、肝心の800系は7月発売の9月号で大々的に紹介します。乞ご期待。(亀)

 

 6月25〜26日、(鯱)氏と名鉄の複々線取材に名古屋を訪れる。取材を終えた夜、互いの労をねぎらいがてら、名古屋駅そばにあるたまたま見かけた居酒屋に寄る。メニューを見て愛知県瀬戸市出身の(鯱)氏は「大アサリだ!」と大感激、早速注文した。出てきたものは子供のこぶしほどもある二枚貝。みそ汁の中に入っているアサリしか知らない私には、「大ハマグリ」があるとすればフリスビー大のサイズではなかろうかと、まぶたに浮かんだ。味はたしかにうまいが、2個で500円はちょっと高い。大アサリには、近年まれな衝撃を受けた。今回の印象は大アサリにつきる。(則)

 驚かれるのも無理はない。大アサリがごく限られた地域の産物であることを、私はかなりの年齢になるまで知らなかった。道理で図鑑に載っていないわけである。
 それはさておき、名鉄の複々線取材の一助にと思って、名古屋から常滑線で常滑に行き、知多半島をバスで横断して半田に行き、そこから河和線〜常滑線で名古屋へ戻った。(常滑線榎戸〜常滑間は高架化工事の関係でバス代行) 往復とも特急だったので空いていたのは無理もないが、他の列車や常滑・半田両駅の周辺にも人の姿は少なくて寂しかった。常滑沖に建設中の中部国際空港が開港すれば、鉄道にも町にも活気が戻ってくるだろうか。(鯱)

 8月12〜13日 お盆の真っ最中にもかかわらず、開業したばかりの沖縄都市モノレールの取材で那覇へ。那覇空港から、終日にわたって予想以上の混雑ぶりで、地元の人たちがいかに待ち望んでいたかが伝わってきました。
 跨座式モノレールのため全線にわたって眺めはよいのですが、個人的には、首里の高台へ駆け上がる勾配区間がお勧めです。夕日をバックにした那覇の市街地やまたその夜景、ライトアップされた首里城などが新たな観光名物になるかもしれません。そうなれば、運転台後ろの展望席に座るのはむずかしくなるかも… 順調な滑り出しとなったゆいレールの今後が楽しみです。(嶺)

 

 しばらくご無沙汰しておりました。最近は、遠出の取材が続いています。7月14日〜16日、前回の複々線に続き、今度は門司と下関での機関車付替えの取材です。幸いにも、梅雨の最中とは思えぬ爽やかな青空に恵まれました。九州と言えども門司あたりは山陰の気候に近く、関門海峡をひんやりした風が吹き渡っていました。門司は新しい駅舎の工事が進んでいて、近い将来、大きく姿を変えそうです。往年の門司駅の活気は甦るでしょうか。
 対岸の下関へは、関門トンネルを抜けてほんの6〜7分の距離。列車での人の往来も多く、関門地域の強い結びつきが感じられます。門司港レトロ、武蔵と小次郎の決闘の地である巌流島、日本の近代史に登場する史跡も多く、最近、このあたりは観光地として注目されているようです。
 いくら近くても、そこは九州と本州。海を渡れば駅員さんの言葉遣いも変わり、ホームの立喰いうどんも「かしわうどん」からフグの天ぷらのった「フク天うどん」へと変わったのでした。(嶺)

 7月22日〜24日、九州から一転、函館から南下する取材となりました。新装オープンしたばかりの函館駅は大きな吹抜けがあり、とても明るく開放的になりました。駅舎内のカフェテリアには、なぜかノートパソコンに向かう外国人の姿が目立ちます。さすがは観光都市だなと思って立ち寄ると、そこはインターネットカフェだったのです。無線LANの実験も行なわれていて、デザインだけでなく情報化も進んでいました。それにしても夏というには肌寒い函館でした。
 7月19日から登場した「ドラえもん海底列車」を取材した翌日、「日本海」で大阪へ。意外にも秋田までの座席利用や、北陸までの乗客が多く、日本海縦貫線の役割はまだ保たれているようでした。
 さて、最後は広島から新幹線100系のカフェテリアの取材。その内容は本誌を読んでいただくとして、この機会に広電のグリーンムーバーにも乗ってみました。山陽本線の海側を低い目線で進むその車窓はなかなか新鮮。席に座ると、以前のホームが目の高さを通り過ぎてゆきます。郊外から都心への変化も大きく、時間はかかりますが宮島口からの小旅行もなかなか楽しいもの。ただ、函館からは想像できないギラギラした日差しに、対岸の厳島神社もゆらゆら見えるほどでした。(嶺)

 

 「カシオペア」に乗ってきました。E26系客車への乗車は、じつは今回が初めてではなく、運転開始前の報道公開時にたしか宇都宮まででしたか、乗っていました。しかし札幌までというのは初めてで、のんびりと豪勢な旅行をしてきました。…というのは大間違いで、食堂車の舞台裏が取材テーマでしたから、入線から深夜まで立ちっ放し。狭い厨房の中は電気レンジやフライヤーの熱気で40度を超える暑さ。しかも二言三言の話を聞くことすら困難なほど多忙な実態を目の当たりにして、いつも以上に過酷な取材でした。先日の連休中に、某テレビ局でカシオペア食堂車も織り込んだ番組を放映していましたが、それをご覧になった方も、ご覧にならなかった方も、どうぞ鉄道ジャーナル12月号でお楽しみください。(亀)

 9月23〜24日。名古屋駅のきしめんスタンドの取材に出向いた。ホームの店を一つ一つ見て回ったので、おのずから各ホームの機能にも目が向くようになる。在来線特急の発着番線は基本的には路線別に振り分けているのだが、新幹線との徒歩連絡を軽減しようとする配慮があって好ましい。記事中にも(新幹線に至近の)10・11番線に発車を集約――と書いたが。少しくわしく説明しよう。この10・11番からは「しなの」「ひだ」、快速「セントラルライナー」が発車する。「南紀」と快速「みえ」はさらに新幹線寄りの12番線から発車するが、これは近鉄特急というライバルを見据えてのことであろう(記事中で「南紀」の発車を10・11番としたのは誤りです。お詫びして訂正します)。
 一方、東海道を下る2本の特急は、「ひだ」は新幹線に近いホーム、「しらさぎ」は東海道線ホーム(新幹線からは遠い)から発車する。これは、新幹線と北陸線の乗換えは米原駅で行なうのが基本なので、「しらさぎ」には無理をさせず、運転の基本に沿った運用を優先しているのであろう。名駅構内では、東海道線の列車を新幹線の近くまで転線させると、東海道線下りの運転に支障をきたしてしまう。「ひだ」も上りは進路を変えずに到着するが、おそらく下り線の逆行〜横断を避けているのに違いない。いろいろな制約の中で少しでも便利に……というJR東海の姿勢はさすがである。それにしても取材目的はきしめんだったのに、鉄道の現状や歴史をじっくり学ばせてもらった。ありがたいことだ。(鯱)

 

 10月6日の寝台特急「富士」から始まった今回の取材は、時計回りで九州を一周するかたちとなった。
 大分到着後は延岡からの宮崎空港アクセス輸送を取材すべく宮崎へ。初めての宮崎ということで、「富士」の乗客に地元の名物を尋ねると、「チキン南蛮」という聞き慣れない料理名が挙がった。揚げた鶏肉を甘酢にくぐらし、タルタルソースをかけてあるらしい。なるほど、宮崎県内ではどこの店の看板にもチキン南蛮と書かれている。これは一度食べてみなければと、翌日、宮崎市内で元祖と言われる店に立ち寄った。すると、そこで「富士」で同乗していた別の乗客と隣り合わせに。世間は案外狭いものと、あちらも驚いておられたが、私は皿に盛られた鶏肉のボリュームにさらに驚いたのだった。
 全国的には知られていない、こんな御当地メニューがまだまだ他にもあるかもしれない。(嶺)

 8月から4ヵ月連続で、岡山へ出かけている。8月は新型マリンライナーの新車撮影、9月は別冊の取材で岡山電車区、10月は本誌2004年1月号取材で「しおかぜ1号」、11月は3月号取材で「うずしお29号」。宿はだいたい同じの岡山駅西口のホテル、また、なじみの居酒屋もできた。9月のときは焼き肉が好きな取材同行者と街へ出たが、なかなか焼き肉屋が見つからず1時間半もうろうろ。ようやく見つけた店は満員で、結局、焼き肉は食べられずがっかり。敗因は、駅の東口側を歩いたことだと後で判明した。西口側で何軒か見つけたのだ。次回、岡山で焼き肉を食べる時は西口を歩こう。 (翠)

 

To be continued.

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